【御池鐵工所】
廃プラの破砕・選別など前処理の需要増に対応
「バリオセパレーター」の導入実績が100台迫る

御池鐵工所の製造工場の外観

 RPF成型機や選別ラインなどの環境関連設備で定評のある㈱御池鐵工所(本社=広島県福山市、小林秀匡代表取締役社長)の本社工場を訪問した。廃プラを循環利用する社会的要請が強まる中、同社が開発・製造している選別機にも引き合いが増えている。同社はものづくりの精神を重んじ、機械設備の設計から現地での設置まで一貫生産を手掛けてきた。充実したアフターサービスで、「事業者が儲からない設備は導入しない」がポリシーでもある同社の小林社長に話を聞いた。

 同社が本社を置く広島県福山市は、広島第2の中核市であるが、ものづくりや起業家の精神が溢れた土地柄でもある。福山市に本社を置く大手企業は、福山通運や青山商事、エフピコなど、上場企業でも12社を数える。こうした風土で、同社の事業も成長軌道に乗り、今年8月期の売上は75億円に上った。半導体不足で受注を抑制する中にあっても、受注残が増える傾向で、業績も堅調に推移しているという。

 本社工場は福山市の北西部に位置し、約3万8000平米もの広さがある。事務所棟や製造工場棟の他、デモ機を見学できるテスト工場を3棟も設けていることが大きな特徴だ。設計などのソフト面を重視して他社に製造委託する機械メーカーも少なくないが、同社は設計から製造、据付、保守管理まで手掛ける自前主義を貫く。「(販売価格が)高いと言われることもある。単純に金額だけを比較するのであれば他社をお勧めする」と小林社長は自社製品の品質やアフターサービスに胸を張る。

ルーツは木炭ポンプ製造

 同社が創業した地に近い、吉備津神社。その前庭の一角にある池が「御池」と呼ばれたことに社名は由来する。戦後、現社長の曾祖父が小林鐵工所を営み、ポンプなどを製造していたが、そこから分家する形で1953年に誕生したのが同社であった。ルーツである先代が開発した定置式の木炭ガス機関は、戦中戦後の石油欠乏期を支え、後に日本機械遺産の一つにも指定されている。バイオマスを利用した動力の元祖だったとも称えられる。

 こうした歴史から、リサイクル機器の開発製造に進んだのは単なる偶然ではなかった。兄弟で袂を分かち、新会社である御池鐵工所を立ち上げたのは、発動機よりも木材をエネルギーに変えることに将来性を感じたためだ。日本は森林が豊富で、木材資源は潤沢に使える環境にある。当時盛んだった製材所・木工所から廃棄物として発生するノコくず(=オガ粉)を成型した「オガライト」がヒット商品となる。1960年代まではオガライトが家庭での煮炊きに使われた。そして都市ガスが普及すると、工業向け用途にシフトし、製鉄所のフォーミング抑制剤として使われるようになった。このころになるとオガライトの原料は製材所から発生するノコくずだけでは全く足りなくなり、間伐材・廃木材をオガライトの原料にするための破砕・乾燥・選別といった技術が培われることとなった。

ごみ問題で固形化技術を活かす

 その後、大きな転機となったのが、ごみ問題だった。1990年代、ごみ最終処分場の残余年数が少ないことが各地で問題になり、少しでも減容化して処理する必要性が生じた。自治体から、ごみを固めて欲しいという要請を受けたのだ。これが今のRPFなどの成型機につながることになったが、当初は燃料という発想はなかった。

 家庭の一般ごみを固めて燃やすものとして、登場したのがRDFだった。乾燥・圧縮することで保存性と運搬性を高めたもので、ごみ由来の燃料として画期的だった。だが、三重での爆発死亡事故をきっかけに、「RDF=キケン」というイメージが拡がり、自治体の導入意欲も急速に萎んでいく。同社でも福山市などでRDF設備を手掛けてきたが、小林社長に言わせると、「(あの事故は)固め方が悪かった」というシンプルな問題だ。充分に固まっていないRDFがサイロで目詰まりし、可燃性ガスを発生させたことが原因だった。

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