2021年10月22日 PJコラム 

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▼中国が廃プラ輸入の門を閉じる寸前の2018年11月、中国の廃プラ処理施設を数ヵ所訪問した。ちなみに2018年初頭から既に中国はMIXプラの輸入禁止となっており、訪問した時は品質の良い廃プラ(主に産業系の廃プラ)はまだ輸入できる時だった。しかし中国の関係者は既に諦めムードで、今後は新しいビジネスを考えると言っていた。

▼その中で江蘇省に廃プラの商社的なヤードがあった。月間1500トンの廃プラを扱っており、全て日本から輸入したものだ。「日本のものは高く売れるが、それ以外のものは安くしか売れない」と話していた。日本とその他の国では、品質が圧倒的に違うという。その経営者はまだ30代半ばの中国人で、日本語は流暢。数百万円のロレックスを付け、数千万円のランボルギーニで出社していた。絵に描いたようなチャイニーズドリームの具現者だった。

▼彼は日本の大学に留学をして、卒業後は東京の下町の縫製会社で働いていた。中国に帰ってアパレル企業を立ち上げるのが夢だった。しかし中国にいる仲間からこんな話を持ちかけられた。「日本のプラスチックごみを中国に持って行くとものすごく儲かるよ!日本にいるならどんどん送ってよ!」。手探りで廃プラスチックの排出先を探し、それを中国の仲間に送るようになった。すると縫製工場で働くのがバカらしいほどの利益を生むことに気付く。仲間を手伝いながら、やがて彼は独立して中国に工場を建てた。工場と言ってもほとんどが置場だ。簡易選別をして中国のリサイクルペレットメーカーに売った方が儲かる。何回か規制強化や工場の移転を強いられたが、10数年で莫大な利益を積み上げ、2018年をもって彼の「廃プラドリーム」は終わりを告げた。

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